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イ・ビョンホン HP

             (韓国映画)  JSA

 (監督)・・・バク・チャヌク         (キャスト)・・・ソン・ガンホ  イ・ビョンホン  イ・ヨンエ  キム・テウ  シン・ハンギョン


 南北対立の中、北朝鮮と韓国の国境にある 共同警備区域 (Joint Security Area ) JSAで起きた、
 射殺事件から 物語は始まります。

 その事件の当事者、韓国兵士(イ・ビョンホン)と、北朝鮮兵士(ソン・ガンホ)の異なる供述・・・
 真相を捜査するため派遣された、韓国系スイス人の女性将校(イ・ヨンエ)によって真実を追っていきます。

 追い込まれても秘密を守り通す、南北兵士の友情と絆・・・
 やがて真相が明らかになった時 待っている切なく悲しい結末・・・

 実際に今も続く、南北対立という重いテーマですが
 キム・グァンソクの「二等兵の手紙」や「宛のない手紙」等の曲も流れ、感動の映画でした。


宛ての無い手紙 唄・・・ キム・グァンソク

二等兵の手紙 唄・・・キム・グァンソク→
おまけ→
←もう一つおまけ

                         
                      
 そして、とうとう板門店まで行ってしまいました♪


(第一回)アジュンマの JSA 板門店の旅 
                            

※ (第二回) 板門店の旅はこちらです→ 雑踏にまみれて・・・inソウル(板門店動画付き)


(板門店)ソウルから北へ60km、軍事境界線が朝鮮半島を分断しています。
その境界線から南北にそれぞれ幅、約2km計4kmの地帯が非武装地帯とよばれ 
唯一南北が繋がっている場所が板門店です。


(JSA設定)
1950年から3年余りも続いた朝鮮戦争も 会談による休戦交渉の場所を
中立区域にする意味で、北緯38度線上の板門店に移し難航の会談の末 ようやく1953年
7月に休戦協定が結ばれました。
そして板門店は、UN軍(米軍部隊の在韓国連軍)と北朝鮮側の共同警備区域
(Joint Security Area=JSA)となったのです。
 

(ポプラの木事件)当初、幅800mほどの この区域内に境界線は存在せず、南北兵士は
自由に往来していました。しかし、一本のポプラの木を切る切らないという いざこざで
米軍兵士2人が斧で殺された事件以降、直接接触がないようJSA内にも軍事境界が引かれ、
南北兵士はいかなる場合においても互いの領域を超えてはいけないことになりました。


(帰らざる橋)そのポプラの木の近くにある橋で、休戦後 両側の捕虜がこの端を渡って送還されるとき、
北か南か帰る国を選択し この橋をどちらかに渡りきったら、
二度と戻れなかったことからこの名がつきまし
た。

(警備兵士) 韓国では2年~2年半の兵役義務がありますが、
板門店のUN軍所属韓国軍の配属条件は厳しく、身長 体重の制限、家柄や一流大学、
そして英語力まで問われ、エリートが集まる精鋭部隊ともいわれています。                 
                                
 青い文字・・るるぶワールドガイド(ソウル)参考


板門店は個人で自由に観光することは出来ず、必ず現地の板門店ツアーの申し込みをして観光しなければなりません。
半日コース、一日コース(昼食付)等があり、私は一日コースを申し込みました。
参加の際のいろいろな注意事項があり、だらしない服装は禁止です。
(ジーンズ Tシャツ 半ズボンや ミニスカート サンダルなど)。

板門店までの自由路
釜山からソウルを経て板門店、そして北朝鮮の平壌を通り中国へと続く道路。
将来の統一への希望を込めた名前。]
を走るバスの中でも、流暢な日本語を話す女性のガイドさんから、
現地での注意事項など厳しく指導をうけました。

とても綺麗な若いガイドさんだったのですが、低い押し殺したような声で
「以前、ふざけて境界線をまたいだ人がいて、その時バスに同乗していた人全員が夜遅くまで取り調べを受けたのです」
等の話に車内はピーンと張りつめた空気が流れ、出発前 「おねーさん、日本語どこで習ったの~?」と
ガイドに話かけていた後ろのおじさんも、到着の頃には すっかりおとなしくなっていました。



最初の目的地は、板門店に入る手前の津閣(リムジンカク)で自由の橋
[板門店(非武装地帯)に入る手前にある 許可のいらない誰でも行ける最後の地点。自由の橋は
朝鮮戦争時、捕虜が「自由万歳」と叫びこの橋を渡ったことから名がつく]
などを下車して見学。 (写真1~6)

→拡大 (1)
       自由の橋
→拡大 (2)
→拡大 (3) →拡大 (4)
→拡大 (5)
イムジン駅とトラサン駅を結ぶ列車の橋
     (これも自由の橋)


→拡大 (6)

その後、検問所に到着すると警備兵士がバスに乗り込み、1人1人パスポートチェックです。
シーンとした雰囲気の中で、とても緊張しました。
ここから先、民間人は許可なく入ることができません。

バスは統一大橋を渡り(あのイ・ビョンホンssiの映画「JSA 」にも出てくる、ジグザグの障害物のある大きな橋です。)
橋の両脇には鉄条網があり、いよいよ非武装地帯に入ります。

UN軍の駐屯基地であるキャンプ・ボニファスに到着後、UN軍の食堂で昼食(バイキング)
兵士も一緒の時間帯で混んでいました。
(写真7)

食事後、JSAについてのスライドによる説明を受け、宣誓書に各自サインを促されます。
(何があってもUN軍及び韓国政府に責任を問う事はできないという内容)


→拡大 (7) →拡大 (8)

胸につけるゲストバッチをもらい、軍の専用バスに乗り換えるため服装チェックを受けます。
(もし規定以外のときは軍で用意された服に着替えさせられます。)
専用バスには、ガイドの韓国兵士が1人乗り(さすがに選ばれているエリートらしく背の高い凛々しい若者でした)
そして、いよいよJSAです。


2列になり前後に警備兵士がつき、展望台→軍事停戦委員会の会議室の順に進みます。
展望台では写真撮影が許され、すぐ目の前にある北朝鮮側の板門閣
(写真9) に立つ兵士と
監視小屋
(写真10)の中の兵士の姿もよく見えました。
兵士に向って手を振ったり、指差し禁止など言われていましたが、
年配の女性二人がおしゃべりしながら指差しをして、あのガイドさんに注意されていました。


水色の建物の軍事停戦委員会会議室(写真11)に入り
[映画で韓国兵士(イ・ビョンホン)と北朝鮮兵士〈ソン・ガンホ)が再会したところです]
マネキンのように動かない韓国兵士と一緒に、写真を撮ることもできました。(写真15)
テーブル中央が建物の中の境界線で、この部屋だけは自由に北側に立つことができます。

→拡大 (9)
奥に見えるのが北朝鮮側の板門閣
→拡大 (10)
     北朝鮮の監視小屋
→拡大  (11)
   軍事停戦委員会会議室
→拡大 (12)
→拡大 (13)
会議室から見た、外の軍事境界線

→拡大 (14)
 砂利が韓国側、土が北朝鮮側
→拡大 (15)
テーブル中央が建物の中の軍事境界線


その後、バスは第5哺所に移動、北朝鮮の世界一高い(160m)国旗掲揚台(写真17)
北朝鮮の宣伝村などを撮影し
(写真16、18)
最後に、ポプラの木事件の碑と、帰らざる橋
(写真21、23)を車窓から見学してキャンプ・ボニファスに戻り、
お土産などを買って帰路につきました。

→拡大 (16)
     北朝鮮の宣伝村
→拡大 (17)
世界一高い、北朝鮮の国旗掲揚台
→拡大 (18)
     
 北朝鮮側
→拡大 (19)
     帰らざる橋周辺
→拡大 (20)
ポプラの木事件の碑と帰らざる橋は、車窓より見学
→拡大 (21)
   ポプラの木事件の碑
→拡大 (22) →拡大 (23)
      
帰らざる橋

料金は約7万ウオン(当時で約7000円)ぐらいでしたが(旅行会社によって違います)
いろいろ考えさせられる価値のある板門店ツアーだと思います。

JSAの映画を観てから行くと、感激も倍増・・(帰ってからも何度も観てしまいました)
往復のバスの中ではJSAのサントラを聞きながら、感動のアジュンマの旅でした。

※ (第二回) 板門店の旅はこちらです→ 雑踏にまみれて・・・inソウル(板門店動画付き)


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